概要・年表

10戦全勝の金字塔

8年秋、戦後最速の優勝

木塚が、明東戦でノーヒットノーラン

 

平成8年は明大当番校。4月11日の理事会で神宮球場にもスピード表示板をつけることを決定、早速採用した。
 
 また六大学の活性化を図る一環として地方都市での試合を考えてきたが、岐阜県が全県あげて推進していた「スポーツ王国・ぎふ」づくりとタイアップし、岐阜県長良川球場で連盟史上初の地方トーナメント大会を開くとともに、六大学を岐阜高野連指導による交流会、また審判講演会、高校、中等等各野球教室、野球トレーニング法講演会などの行事を行い、大いに成果をあげた。なおトーナメントは佐藤のサヨナラ安打で明大は優勝した。
 
 春のリーグ戦は4位と予想外の結果。明大らしくねばりがなかったのが敗因。
 
 秋のリーグ戦は第1週に伝統の慶明戦が組まれた。1回戦を川上で獲り、2回戦を小笠原-巴田のリレーで連勝して勢いに乗り、明立戦もストレート勝ち。明法戦は2試合とも完封。明東戦も文句なく連勝して、リーグ戦全勝の全勝優勝を成し遂げた。
 
 また開幕から8連勝、第5週で優勝を決めたのは戦後最速だし、10月26日の明東1回戦の勝利で通算900勝。
 
 秋のリーグ戦では2シーズン目の荒井監督が早くも完全にチームを掌握。大胆な選手起用も目立った。
 
 エース川上は復調、4勝無敗、防御率0・61.小笠原も5勝無敗で防御率1・59.なししろチーム防御率が0・89だから全勝優勝もむべかるかな。打っては首位打者(4割1分2厘)になった、鷲北、10打点も叩き出した筒井、橿渕などの活躍でチーム打率も2割8分7厘をマーク。勝つべくして勝った優勝だった。
 
 明治神宮大会は朝日大(中部地区)愛知工業大(愛知大学)東北福祉大(北海道・東北地区)を破って2年連続優勝。なお明大の4度目の優勝は大会最多だ。
 
 神宮大会の優勝で再び台湾に遠征。また6月22日から東海大とロシア遠征。
 
 平成9年春のリーグ戦は、開幕の明立戦で勝ち点を落としたことが響いた。その後立ち直り、残りカードに勝ち点を取ったものの、2敗の差で慶大に優勝を奪われてしまった。小笠原が、明東2回戦に18奪三振の歴代2位の記録を作った。
 
 秋のリーグ戦の10月14日明立4回戦の9回に両チームの乱闘事件が起こった。
 六大学野球連盟は翌15日に緊急理事会を開き、寺島部長、別府総監督の辞任、5人の選手は謹慎することとなった。
 
 3割8分5厘で首位打者になった高松がベストナインに選ばれ、成績は勝ち点3、5割3分8厘で4位に終わった。
 
 平成10年春のリーグ戦は終わってみれば勝ち点5の完全優勝だが、その道のりは険しいものがあった。巴田、小笠原、木塚の投手力に助けられて辛うじて勝ち点をとり、明立戦も決勝戦まで持ち込まれた。打ち合いになった早明戦を連勝して30回目の優勝をつかんだ。
 
 全日本大学選手権は2回戦で青森大に敗れた。
 
 秋のリーグ戦は第4週の明法戦で勝ち点を落としたことが、それも連敗したことが祟った。
 
 なお2月28日から米国遠征している。
 
 平成11年は春、秋とも4位に終わった。もともと攻撃より、投手力に頼るチームだけに春は本調子でなかった。木塚が4勝1敗、防御率2・25。秋も木塚、山田両投手の調子が整わず開幕から4連敗したのがすべてだった。それでも木塚は明東1回戦に史上18人目のノーヒットノーランを記録したのはあっぱれ。
 
 平成12年の春のリーグ戦は、緒戦の早明戦で勝ち点を落としたことが響き、結局は優勝した法大と同じ勝ち点4だが、負け数が1つ多くて2位に甘んじた。ハイライトは慶明戦に勝ち点を取って15シーズン連続して慶大から勝ち点を奪った。
 
 秋は5位に甘んじ、明立1回戦に野田が先頭打者ホームランを打った。
 

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