概要・年表

球界の雪解けに一石

連盟70周年記念でプロと対戦

天皇陛下から祝福のお言葉

 

明東戦の連勝でスタートを切った6年春のリーグ戦は、つづく伝統の慶明戦も大淀、徳丸がともに完投して開幕から4連勝。明立戦は2勝1敗1分けになったが、とにかく勝ち点を奪い、早明戦1敗はしたが勝ち点をあげて勝ち点4。
 
 しかし7週の明法戦でまさかの2連敗、この時点で8勝4敗、勝ち点4で一応首位だが、早大が早慶せんで連勝すると勝率で明大の上をいく。だが、早大が連敗して明大に2シーズンぶり、27度目の優勝が転がり込んできた。
 
 「相手をねじ伏せて勝ち取った優勝ではない。運がよかった。」と優勝決定の報に別府監督はこう語っていた。
 
 優勝はしたが、投打ともに好調ではなかった。それは筒井、中村と2人しかベストナインに選出されなかったことでも証明される。
 
 春のリーグ戦のハイライトは5月29日の早慶2回戦を天皇、皇后両陛下がご観戦になったこと。特に天皇陛下から明大の奥隈野球部長に「優勝お目出度う」のお言葉を賜わった。両陛下の六大学リーグ戦後観戦は3度目だが、優勝校への祝福のお言葉は初めてのことであり、明大野球部の光栄これに優れることはない。
 
 第43回の全日本大学選手権大会に出場した明大は、2回戦で福井工に1-6で敗れた。
 
 秋のリーグ戦も明東戦は連勝。早明戦は2勝1敗で勝ち点をとり、明立戦も引き分けはあったが、連勝して勝ち点3。明大がまたトップに立ち、これを追って慶大、法大、早大とつづき、この上位4校が第6週で対戦、ここが1つの山場だった。
 
 明大は2勝1敗で慶大に、法大はこれまた2勝1敗で早大に勝ち、直接対決となった7週で明大が連敗。法大に優勝をさらわれてしまった。
 
 平成7年は東京六大学野球連盟70周年にあたり、記念事業として9月10日に神宮球場の敷地内に泰山木の記念植樹が行われ、また11月14日には東京六大学選抜チームと、東京六大学出身プロ野球選抜チームが対戦する「連盟結成記念試合」が神宮で行われた。
 
 六大学選抜は明大の別府監督が、プロ選抜は立大OBの巨人長嶋監督が指揮をとり、ゲームは10-5でプロ選抜が勝ったが、長い間プロとアマを隔ててきた高くて厚い壁を取り除く、この試合が事実上の第一歩になった意義は大きい。
 
 春のリーグ戦は前年と同じように、明大がトップを走り、それを法大が追いかける展開。明東戦はストレート勝ち。早明戦は1回戦こそ落としたが、2回戦は川上が、3回戦は徳丸が完投して勝ち点を奪い、明立戦も徳丸、川上の完投で連勝。勝ち点4、8勝1敗で優勝街道を驀進しているかのように見えた。
 
 しかし野球とは怖いものだ。優勝争いとなった明法戦。1回戦は徳丸が6回まで無得点に抑え、しかも2点をリードして明大有利だったが、7回の副島のホームランからじりじりと押されて2-3で敗れ、2回戦は0-1xと完敗。優勝を逃した。
 
 日米野球選手権の全日本には中村選手が、ハワイ国際野球大会には川上、野村、守谷、野上、中村の5選手が出場した。
 
 秋のリーグ戦は別府監督を中心にチームが団結、また戦力的に見ても投、打にわたって充実。予想通り勝ち進み、さいごの明法戦勝ち点4同士の優勝決定戦となったが、1回戦はエース川上が完封。2回戦も小笠原-津野のリレーで連勝。みごとに勝ち点5の完全優勝で3シーズン振り28度目の栄冠を獲得した。
 
 このシーズンはまた明大において話題の多いリーグ戦でもあった。9月19日の明東2回戦にジョディ・ハーラー投手が先発のマウンドを踏み、2回まで打者11人に投げ、二死満塁のピンチを残して降板したが、無安打、5四球。その投球内容より、大学史上初の女性選手として大きな反響をよんだ。
 
 また中村選手は9月24日の早明2回戦で100安打を達成、最終戦(明法2回戦)では通算116安打を打って歴代5位に踊りでるとともに、10月15日の慶明2回戦で打った6号ホーマーはシーズン本塁打タイ記録でもあった。
 
 中村は川上、守谷、野上とともにベストナインに選ばれたが、これで連続4シーズンを含めて5回ベストナイン。
 
 東京六大学代表として第26回明治神宮野球大会に出場した明大は、九州国際大(九州六大学・九州地区)日体大(首都大学)青山学院大(東都大学)を破って16年ぶり、3度目の優勝を飾った。
 
 明治神宮大会優勝の記念として12月6日から台湾遠征。また3月25日にはこれまた単独でハワイに遠征している。
 
 秋のリーグ戦優勝を土産に別府監督、国分助監督が勇退。平成8年度から荒井信久氏が監督に就任。別府総監督、荒井監督、川口コーチの新体制で臨む。
 

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